2022年7月8日、安倍晋三元首相が、街頭演説中に銃撃され死亡した事件。
山上徹也被告が、殺人や銃刀法違反などの罪で起訴されました。
公判前整理手続きが長期化していましたが、奈良地裁が2025年10月28日に初公判を開く方向で調整しているようです。
日本中を震撼させた事件の初公判に、注目が集まっていますね。
事件後には、山上徹也被告の生い立ちや境遇が明らかとなり、一部では「可哀想」などの声も上がっています。
それは、一体なぜでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめます。
【概要】山上徹也が起こした事件

山上徹也被告の身柄を現場で拘束し、その後、殺人や銃刀法違反などの罪で起訴されています。
山上徹也被告は、犯行の動機について
「母が宗教団体にのめり込み、家を破産させられた」
「宗教団体のメンバーを狙おうとしたが、難しいと思い安倍元首相を狙った。安倍元首相は宗教団体と関係があると思った」
と宗教団体に恨みを募らせた末、事件を起こしたと語っています。

この「宗教団体」とは、後に旧統一教会であることが明らかになりました。
この事件をきっかけに、親の信仰が理由で、困難な生活を強いられた「宗教2世」の存在が注目を集めることとなりました。
【衝撃】山上徹也の生い立ちが壮絶すぎて可哀想?

事件後には、SNSやインターネット上に、このようなコメントがありました↓




山上徹也被告の犯罪は、決して許されることではありません。
しかし、一部では「可哀想」という声も多くあがっていました。
ここで、山上徹也被告の生い立ちを簡単にご紹介します。
名前:山上徹也(やまがみてつや)
生年月日:1980年9月10日
年齢:44歳(2025年5月時点)
1980年9月、山上徹也被告は、有名国立大を卒業し建設関係の仕事をしていた父親と、公立大学卒の母親との間に生まれました。
家族構成は、父・母・兄・妹の5人。
山上徹也被告が幼い頃に住んでいた家の近隣住民によると、
祖父は建設関係の会社を経営していて、ゴルフ好きの上品な育ちの良いおじいさんという印象です。お父さんも知的な雰囲気があり、高級車スカイラインに乗っていました。お母さんもスラっとした気品のあるお嬢さんというイメージがあって、全体的に上品な一家だったと思います。
引用元:文春オンライン
とのことで、元々は裕福な家庭環境だったようです。

友人には、小学校時代から「こてつ」と呼ばれ、親しまれていたとか。
小・中学校時代を知る人物によると、
勉強も運動もできて、性格も穏やかで優しくて、皆からも好かれているっていう、非の打ち所のない感じの人でだった。先生からも一目置かれていて、「山上ならこの問題解けるだろう」みたいな。
中学校ではバスケットボール部に所属、スタメンにも選ばれ、活発な学生時代を過ごしました。
山上徹也被告と部活が一緒だった中学時代の友人は、
模範的ないい中学生。まず賢いし、真面目だし、不平不満も言わず、運動も勉強も平均以上にできる人。誰かに嫌われることも嫌うこともないが、目立ってしゃべっているイメージはない。おとなしい人、本当に毒気がない人だったので、みんな(勉強を)聞いていたと思う。
と勉強だけでなく、スポーツも得意だった山上徹也被告は、まさに文武両道の学生生活を送っていたようですね。

成績は常にトップで、高校は奈良屈指の名門進学校に進学しています。
高校時代の山上徹也被告を知る人物は、
彼は応援団に所属していた。山上くんは背が低く小柄で『デコボコな身長差のなかで他のメンバーに負けずに頑張っているな』という印象が残っている。きびきびと動いていたので、さすが伝統校だなと誇りに思った。
とコメントしています。
一見すると、順風満帆な学生時代を過ごしてきたように思われる山上徹也被告。
しかし、山上徹也被告が
「母が宗教団体にのめり込み、家を破産させられた」
と語った通り、1991年に母親が旧統一教会に入信した頃から、少しづつ生活が変わっていくようです。
そして、自身の境遇を恨むほど、過酷な半生を送っています。
様々なエピソードがありますので、次で詳しく見ていきましょう。
【衝撃】山上徹也が不幸と言われる7つのエピソード!

ここでは、山上徹也被告が『不幸』と言われる7つのエピソードをご紹介します。
7つのエピソードは以下の通りです↓
①父親の自殺
②母親によるネグレクト
③母親が旧統一教会に高額献金
④祖父が他界
⑤大学進学を断念
⑥自殺未遂
⑦兄の自殺
では、詳しく見ていきましょう。
エピソード①:父親の自殺

山上徹也被告の両親は、お見合い結婚でした。
山上徹也被告の父親は、京都大学工学部を卒業し、大手ゼネコンに勤めたのち、母親の父が経営する建設会社に入社しています。
しかし、幸せな日々は長くは続かなかったようです。
山上徹也被告の叔父(父親の実兄)によると、
弟(山上被告の父)は、義妹(山上被告の母)の父(山上被告の祖父)と性格が合わなかった。それに、弟は苦労していてね、大学院を出て、研究がしたかった。でも、儲け優先の現場には、肌が合わなかったんです。儲け優先の父親の元で働くのは限界だった。
とのことで、仕事の悩みを抱いていた様子です。

また、同じころ
私とお袋の前で『離婚したい』って、言いよったんよ。でも私も、弟も、自分たちの母親が離婚して苦労してきたのを知ってたから、『子どもを犠牲にしたらあかん』と言うてね。
と離婚の意思まで示していたとのこと。
当時、山上徹也被告の一家は、東大阪市内の一軒家に住んでおり、近隣住民によると
山上さんね、もう40年くらい前ですけど、よう覚えていますわ。よく怒鳴り声が聞こえる家やったんですよ。お父さんがお母さんを怒鳴りつけてね、呂律も回っていなかったから、たぶん、お酒飲んでいたんやろうな。外から見える家の洗い場なんかも散らかっていてね…
引用元:デイリー新潮
との証言もありました。

そして、結婚からわずか5年の1984年12月。
山上徹也被告の父親は、
37歳という若さで自ら命を絶ってしまいました。
山上徹也被告の叔父(父親の実兄)は、
仕事が本当にきつかったようです。山奥の飯場で寝泊まりすることも多く、酒量も増えていた。亡くなる前はうつ病になり通院していた。
と語っており、精神的に追い詰められていた様子がうかがえます。
当時、長男は5歳、次男の山上徹也被告は4歳。
母親のおなかには、3人目の子供となる長女がいました。
その後、1年も経たずに、大阪府内の自宅から奈良市内の実家へ引っ越しをしています。
エピソード②:母親によるネグレクト

山上徹也被告の母親は、夫が自殺する3年程前に、精神的支柱だった実母を亡くしています。
その頃から、精神的に不安定になっていたようです。
東大阪市内の一軒家に住んでいた頃の一家を知る知人によると、母親は当時『朝起(あさおき)会』という宗教にはまっていたとか。
周囲を勧誘することはなかったものの、子育てをほっぽらかしにしていて、その宗教の集まりがあるからと、朝の5時から出かけていたみたいです。
当時、2歳か3歳かの男の子が冬も裸足で家の外に出てきて、泣きながら母親を探してるんですわ。
ご主人もなんもせんとね。
おしっこやうんちで重くなったおむつをはいているから、半ケツ状態で可哀そうでした。
引用元:デイリー新潮
との驚くような証言がありました。
山上徹也被告の母親は、育児や家事を放棄してまで、宗教にのめり込んでいる様子ですね。

一部では、
山上徹也被告の母親が相当宗教に入れ込んでしまい、父親はノイローゼになった。そのことを苦にして自殺をした
との報道もありました。
当時、父親は『朝起(あさおき)会』の参加に反対しており、口論になることもあったのだとか。
父親の自殺後、幼い子供達を連れて実家に戻り、実父(山上徹也被告の祖父)の経営する建設会社の役員になりました。
実母はすでに他界していて、仕事をしながら、一人で子育てをすることに。
長男は病気がちで、手術を繰り返し、10歳の頃に片目を失明しています。
実母の死、夫の自殺、子供の病気など、様々な苦難が重なっていたようですね。

そうしたことがきっかけだったのか、山上徹也被告の母親は、
1991年、旧統一教会に入信しています。
次第に熱心な信者となり、子供をおいて度々、渡韓するほどだったとか。
山上徹也被告の叔父によると、母親が渡韓している間、子供たちは食べるものすらなかったそうです。
自分は韓国に行き、ずっと放っておいた。
ネグレクトどころではない、もっとひどい状態です。
兄は病気で自分で食事を作ることもできない。
その兄が電話をかけてきて、“食べるものがない”と。お金を持って行ってあげたりしていました。
すると、冷蔵庫の中には食料がまるでないんですわ…引用元:デイリー新潮
子供達は、どれだけ心細かったことでしょう。

山上徹也被告の母親は、長期に渡り渡韓しており、
・食べ物が尽きて、何日も食べていない
・お金が払えず、光熱費を滞納している
などの状況が、度々あったとのことです。
いくつもの心労が重なり、母親が救いを求めたのは『宗教』。
そのことで、山上徹也被告の家族は、困難な生活を強いられることになったのですね。
エピソード③:母親が旧統一教会に高額献金

山上徹也被告は、旧統一教会への多額の献金で家庭が崩壊したことを恨んでいたとされています。
また、1998年には山上徹也被告の祖父名義の土地を勝手に売却し、献金しています。
1999年には、家族が暮らしていた家まで売却。
その後は、借家を転々としていたようです。

母親が入信してからというもの、常に生活が困窮していたという山上家。
山上徹也被告の母親が、旧統一教会に献金した額は、
1億円超
と言われています。
エピソード④:祖父が他界

1998年、母親が献金にあてるために、山上徹也被告の祖父名義の土地を勝手に売却したことで
「(統一教会を)脱会しろ!」
と祖父は怒りを抑えられなかったようです。
山上徹也被告とみられるSNSでは、その時の様子が投稿されています↓

しかし、祖父は、その2ヶ月後に他界してしまったのです。

山上徹也被告の母親が祖父の建設会社を引き継いでいますが、
相続した会社の土地を処分して、2千万円を作り、即座に献金してしまった
ようです。
祖父の死後、さらに信仰にのめり込み、ほかにも数10万円~100万円の献金を繰り返していたとのこと。
そして、
2002年には母親が自己破産しています。
エピソード⑤:大学進学を断念

小さい頃から成績優秀だった山上徹也被告。
奈良屈指の名門進学高校でも、成績は常にトップクラスだったといいます。
しかし、
母親の献金によって経済的な余裕がなく大学進学はできず、専門学校に進んだようです。
勉強する意欲もあり、大学進学を夢見ていた山上徹也被告にとって、とても無念だったことでしょう。
大学へ通えず、その後は非正規雇用で苦労する結果となってしまった…
その原因となったのが、母親の宗教活動だと認識し、旧統一教会への憎しみが増していったようです。
専門学校卒業後には、2002年8月、任期制自衛官として海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊しました。
エピソード⑥:自殺未遂

海上自衛隊員になった山上徹也被告は、
2005年1月に勤務先の広島で自殺未遂をしています。
防衛省関係者によると、
任期中の05年に自殺未遂を起こしているのです。一命は取り留めたものの、防衛庁が運営する自衛隊病院に入院しました。自殺を図ったきっかけは統一教会だった。母親のことで相当悩んでおり、結局、このことがきっかけで退官してしまうのです
引用元:デイリー新潮
山上徹也被告も自殺を図るほど、追い詰められていたのでしょうか。
山上徹也被告は後に、
献金で生活が困窮した兄と妹に、自分の生命保険金を渡そうと思った
と自殺を図った理由について語ったそうです。

その頃、韓国で40日間の「修練会」に参加中だった山上徹也被告の母親。
息子の自殺未遂の一報を受けても、プログラムが終わるまで帰ってこなかったといいます。
山上徹也被告は、海上自衛隊を退官しました。
その後は、
・測量士補
・宅地建物取引
・ファイナンシャルプランナー
・フォークリフト
などの資格を取得し、アルバイトや派遣の仕事を転々としていたようです。
エピソード⑦:兄の自殺

山上徹也被告の兄は、幼い頃に小児がんを患っていて、片目を失明しており、普段の生活にも苦労していたといいます。
その後も、難病を患った兄は、長年治療に苦しんだようです。
山上徹也被告の母親は、旧統一教会への献金や行事にのめり込み、借金等で生活は困窮。
生活費だけでなく、医療費もままならない悲惨な生活を強いられ、兄の病状も悪化していたそうです。
そして、
2015年、山上徹也被告の兄は自ら死を選んでしまいました。
兄の葬儀で、山上徹也被告は、
兄ちゃんアホやな何で死んだん。生きていればなんとかなるやろ
と涙を見せ、悲痛な様子だったといいます。

山上徹也被告の事件後には、
献金のせいで、兄は十分な治療を受けられず、苦しんで自殺した
とも語っていたそうです。
自身の命に代えてまで、救おうとしていた兄の死は、山上徹也被告の中であまりにも大きなものだったのではないでしょうか。
山上徹也被告には、「壮絶」と言わざるを得ない、様々なエピソードがありました。
自身の母親ではなく、旧統一教会によって
家庭を破産させられた
と恨みが積み重なり、大きな事件へとつながってしまったのでしょう。
山上徹也の事件に世間の反応は?

SNSやインターネット上には、様々な意見が上がっていました。





日本を震撼させた事件だけに、様々な声が飛び交っていますね。
山上徹也被告の生い立ちや境遇を知ると、共感や同情する人も多いようです。
そして、ネット上だけでなくオフラインでも、山上徹也被告の刑の減軽を求める署名活動をおこなう団体までいるのです。
「正義の鉄槌(てっつい)を下した」
「自分が同じ生い立ちだったとしたら、容疑者は自分だったかもしれない」
などと英雄視するようなコメントや同情を寄せるものが多数見受けられます。

また、拘置所には、山上徹也被告宛てに全国から寄せられる食べ物や本の差し入れが今も途切れないんだとか。
現金や大量の本、体調や置かれた状況を心配するような内容の手紙が届いているようです。
山上徹也被告が起こした事件の影響は大きく、様々なことが明らかになりました。
しかし、動機はなんであれ、暴力や犯罪は断じて許されないことだと思われます。
10月28日には、初公判を開く方向で調整しています。
今後の動きにも注目していきましょう。
まとめ
今回の記事は、
・山上徹也の生い立ちが壮絶すぎて可哀想?
・山上徹也が不幸と言われる7つのエピソード!
・山上徹也の事件に世間の反応は?
こちらの内容でまとめました。
2022年7月、安倍晋三元首相が、街頭演説中に銃撃され死亡した衝撃の事件。
事件後には、山上徹也被告の壮絶な生い立ちや境遇が明らかとなりました。
相次ぐ家族の死や母親の多額献金による家庭崩壊など…過酷な半生を送ってきたことが分かりました。
山上徹也被告については、様々な反応や意見が上がっています。
今後、公判の行方にも注目が集まることでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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