1980年代から1990年代にかけて、宗教法人「本覚寺」「明覚寺」を利用して組織的に霊視商法での巨額詐欺を行った西川義俊(にしかわ ぎしゅん)氏。
いわゆる「明覚寺事件」の首謀者です。
霊視商法は、旧統一教会など他の団体でも類似の問題が報告されています。
「明覚寺事件」はその一例として、日本の宗教ビジネスの問題点を象徴する事件です。
そこでこのページでは、
こちらについてまとめました。
『明覚寺事件』とはどのような事件だったのか、あらためて振り返ってみましょう。
【明覚寺事件】西川義俊は現在は何してる?

服役後の動向や刑期満了後の生活などについての詳細も不明でした。
1940年生まれなので2025年5月時点で、85歳前後でしょう。
現在は、高齢であることや明覚寺の解散により宗教法人としての基盤を失ったことから、目立った活動は行っていないと推測できます。
さらに、明覚寺解散後、西川氏が関与した新たな詐欺事件や宗教活動の報告もありません。
もし再犯の疑いがあれば、メディアや消費者保護団体による報道が予想されます。
しかし、現時点ではそのような情報は確認できません。
【明覚寺事件】西川義俊の霊視商法での巨額詐欺を時系列まとめ!

西川義俊氏による霊視商法とは、
1980年代から1990年代にかけて、宗教法人「本覚寺」「明覚寺」を利用して組織的に行われた巨額詐欺事件
です。
被害者を心理的に追い込み、高額な供養料を請求する手口で120億円以上の資金を集め多数の訴訟問題を引き起こしています。
2000年になると明覚寺解散命令で事件は終息しました。


ただ、2025年5月旧統一教会の「解散命令」「出国禁止」の報道で、明覚寺事件が再び注目され、霊視商法の悪質な手口が改めて振り返られています。
それでは「明覚寺事件」について時系列で詳しく見て行きましょう。
「明覚寺事件」①:1970年代後半~1983年

大手製薬会社に就職して営業マンとして働いていました。
しかしそ会社勤めに限界を感じ脱サラして避妊具などの訪問販売を始めます。
事業はうまくいかず、経済的苦境に立たされた西川義俊氏。
この経験が、後に宗教ビジネスに目を向けるきっかけとなります。
「明覚寺事件」②:1984年

水子菩薩とは、流産や中絶した胎児の霊を供養する対象として、霊感商法でよく用いられているそうです。
一方で京都の真言宗醍醐派の寺に通い1985年に修験道教師となった西川氏。
京都の真言宗醍醐派の寺に通い、修験道教師の資格を取得しました。
「修験道教師資格」という明確な資格は、現在の情報からは確立された制度としては確認できません。修験道における指導的役割(先達や法印など)は、特定の山や寺院での長期の修行、師匠との関係、または宗派内での承認を通じて得られるものと考えられます。
これにより、宗教的権威を背景にした活動が可能になります。
1986年に、西川氏は真言宗醍醐派で剃髪し、正式に僧侶として得度を受けます。
宗教法人を設立したことで霊視商法を本格化させていきました。
「明覚寺事件」③:1987年

ここから本格的に霊視商法を開始します。
- 3,000円で霊視するといってチラシで人を集めた
- 『水子の霊が取り付いているから、家族が不幸になる』
- 『水子を供養するために百万円払いなさい』
- などと脅して供養料をせしめるやり方
- 供養料は最低でも1回65万円
- 多いときは数百万円にも及んだ
- 霊能力の認定書を系列寺の僧侶に配布し詐欺の手口を記したマニュアルを作成
- ノルマを課して組織的な金集めを指導した
被害者の多くは女性で、特に子育てや家庭問題に悩む人々が標的とされました。
「明覚寺事件」④:1980年~1990年

多数の被害者から消費者センターに苦情が寄せられ、損害賠償請求訴訟が起こされます。
この時点で、霊視商法が詐欺的であるとの認識が広がり始めました。
「明覚寺事件」⑤:1992年3月

活動拠点は中部・近畿・関西方面に移っています。
明覚寺を本堂とし、全国に系列寺を設立し、引き続き霊視商法を展開していきました。
- ターゲットは主に女性
- 被害者は全国にわたる
- 特に家庭問題や子育てに悩む女性が多かった
- 「水子の霊」「先祖の霊」といった恐怖心を煽る話で心理的に追い詰める
- 高額な供養料を支払わせた
- 1回の供養料は最低65万円
- 場合によっては数百万円に及ぶ
- 系列寺の僧侶に霊能力の認定書を発行
- 詐欺の手口を記したマニュアルを配布
- ノルマを課して組織的に資金を集めた
- 宗教団体というより詐欺集団としての性格が強かった
- 真言宗醍醐派の僧籍や宗教法人を活用
- 霊的な権威を装って被害者を騙した
- 明覚寺および本覚寺を通じて集めた資金は120億円以上に上ると推定
1992年には高野山明覚寺を再興し、これを本山として、全国各地に系列の寺を次々に開設しました。
これらの寺は宗教ビジネスの営業所で、供養料獲得のマニュアルがあったとのこと。
避妊具訪問販売員が霊能者に扮していました。
これら霊視商法の拠点は全国に27か所あったとのことです。
「明覚寺事件」⑥:1995年

1995年、ついに愛知県警が強制捜査に着手。
明覚寺でも同様の霊視商法が問題視され、多数の損害賠償請求訴訟が提起されます。
被害者からの訴えにより、西川義俊氏の行為が詐欺罪として刑事事件化。
検事正からは当初「霊視商法を詐欺罪で立件するのは難しい」との冷ややかな反応だったそうです。
しかし、捜査が進み起訴に至ったとされています。
「明覚寺事件」⑦:1996年3月

西川義俊氏は詐欺罪で起訴され、1999年には有罪が確定します。
これを受けて1999年12月16日に、文化庁は「組織ぐるみの違法性が認められる」として和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求しました。
「明覚寺事件」⑧:2000年

著書『殉教の遺書: 明覚寺詐欺事件の真相』では「霊能を有している為詐欺行為ではないと主張しています。
詐欺行為の正当化を図ったものと見られていたようです。
「明覚寺事件」⑨:2002年1月

しかし、最高裁が上告を棄却し解散が確定しています。
東京都生活文化局は「霊感・霊視商法等に関する実態調査報告」をまとめ、霊視商法の悪質性が公的に記録しました。
「明覚寺事件」⑩:2003年4月

そして、明覚寺は宗教法人としての地位を失っています。
明覚寺の解散命令は、日本国内でオウム真理教に次ぐ2例目の宗教法人解散命令として注目されました。
西川義俊のwiki経歴プロフィール!

大手製薬会社に就職し、営業マンとして働いていました。
この時期はまだ霊視商法とは無縁の一般的な会社員生活を送っていたようです。
その後、1987年茨木県大子町に真言宗醍醐派・本覚寺を建立し、ここを拠点に大規模な霊視詐欺を行いました。
一方、本覚寺が週刊誌等で「霊視詐欺」として批判されます。
西川義俊氏と詐欺僧侶たちは本覚寺を放棄。
その後、明覚寺や関連寺院に移動して詐欺を繰り返していました。
西川義俊氏1996年に逮捕され詐欺罪で起訴されます。

一審判決での、西川義俊氏の詐欺認定の理由はこちらです。
「悩み事を解決する霊能などないのに、その霊能があるかのように装って、相談者に先祖の霊が取り付いており、供養料を支払ってこれらの霊を成仏させれば、悩み事が解決できる旨嘘を言って欺き、内金を受けとり、さらに後日、金を振り込ませた」
引用:一審判決
1999年には有罪(懲役6年)が確定しました。
その後の西川義俊氏の動向については公開されていません。
まとめ
このページでは、
- 西川義俊は現在は何してる?
- 西川義俊の霊視商法での巨額詐欺を時系列まとめ!
- 西川義俊のwiki経歴プロフィール!
こちらについてまとめました。
1980年代から1990年代にかけて霊視商法で120億円以上を集め、2000年に宗教法人明覚寺は解散命令を受けた西川義俊氏。
明覚寺事件後の西川義俊氏の動向については見つかりませんでした。
著書『殉教の遺書』を出版後、表舞台から姿を消しています。
しかし、霊視商法の悪質性は今後も警戒すべき問題として語り継がれていくことでしょう。
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